急性膵炎になったよ
こんにちは、ドライソと申します。
今回はこちらのアドベントカレンダーに参加いたしました。
今年の10月に急性膵炎で入院していたので、顛末を書いていこうと思います。
アドベントカレンダーの趣旨であるかつ丼などの丼ものの話題ではありませんがお付き合いいただけたらと存じます。
入院前の生活
前の案件ではポンコツシステム屋としてフルリモートで勤務していました。
フルリモートでは外に出る面倒さもない、通勤もなく、他人の目を気にせず淡々と仕事をこなし、定時になったら貸与されたノートパソコンを閉じ「はい、仕事終わりっ!」となります。
この働き方は社交不安障害持ちの僕にとっては他者への不安や緊張が少なくかなり気に入っていました。
退勤後は早速近所のコンビニで焼酎ハイボールを買い、「俺、今日も一日お疲れ様、ぺーい!」と自らに労いをかけてゴクーと飲み、パソコンの前でSNSで遊んだり、音楽を聴いたり、ソシャゲいじったり、アニメを観たりと自宅飲み会をエンジョイしていました。
コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言もあり外で飲むことがめっきり減り、その代わりとして宅飲みを楽しんでいました。
アルコール度数7%の焼酎ハイボールを複数本飲み干したら、自宅でハイボールやウーロンハイを作ってさらに酒を飲んで…と気がついたら午前様になるぐらい、6時間ぐらい飲み続けていました。
突然の痛み、そして病院へ
ある日の夜中、猛烈な腹と背中の痛みを感じ、嘔吐を催し、その日は痛みで全く眠れませんでした。
翌日、「なんか体調不良かな」とかかりつけ医に腹部の張りを診てもらったところ、「これはやばそうだ、紹介状書くから検査のために別の病院に行って診てもらって」と紹介状を渡され、その病院で精密検査を受けることになりました。
紹介状に記載があった病院での精密結果で「これはやばい、うちでは診られないのでこの病院に行って」と救急車で大学病院に運ばれました。
たった一日で「かかりつけ医→紹介状のそこそこ大きい病院→大学病院」とはしご酒ならぬはしご病院を経験しました。
集中治療室で手術
大学病院に運ばれるやいなや集中治療室にて手術をされました。
局部麻酔を受け、動脈に穴を開けられ5種類以上の点滴を打たれ、鼻にもチューブを打たれ、尿道カテーテルをぶっ刺されれ、水も一滴も飲めない状況となり集中治療室で一夜を過ごしました。
集中治療室で受けた手術の痛みやらなにやらでもう現状が分からなくなっていました。
「なるようにしかならん」と治療を受け、大学病院に運ばれて2日目から集中治療室を離れ、消化器科に入院することになりました。
点滴と鼻、尿道カテーテルのチューブが複数身体にぶっ刺さっており、さながら自分が混んがらがった電源タップかなにかになったような、また手術中は仮面ライダーみたいになるんかなという感じを受けました。
消化器科病棟での生活
消化器科に入院してからはベッドで絶対安静、ずっと点滴を受けトイレにも行けないので用を足したいときはナースコールで看護師さんを呼び、ベッドの上でにおまるを置くのでそこで💩しなさいとのことでした。「そういう羞恥プレイだな」と自分に言い聞かせ、何から何まで看護頂いていました。
消化器科に入院しても集中治療室と変わらず一滴も水を飲ませてもらえませんでしたが、喉の乾きを潤すために口に水を含んでは良いとのことで、紙コップに少しだけ入った水を口に溜めることは許されました。ただしその水は飲まずに吐き出すように指示を受けました。
しばらくしてから「どうしても水を飲みたい」と看護師さんにお願いし、「お茶だったらいいですよ、自動販売機で売っているので飲みたくなったらナースコールしてください、買ってきますよ」と許可を得たので、さっそくお茶を買ってきてほしいと頼んで久しぶりの経口での水分補給ができました。生茶うめえ。
病名の告知
その時期と並行して消化器科の医師に病名を告げられました。
「急性膵炎です」
急性膵炎についてスマホでいろいろ調べました。細かいことは分からないがやべえ病気だということがわかりました。病気の原因はおそらくアルコールの過剰摂取とのことでした。
入院1週間目
消化器科に入院して1週間は絶食となります。栄養分はすべて点滴です。唯一飲食を認められた生茶だけが心の救いになっていました。
絶食中はとにかくお菓子が食べたくなります。夢の中でキットカットやカントリーマアム、ハッピーターンが出てきます。しかし絶食中はその夢を叶えることはできませんでした。
この1週間はトイレは看護師さんに車椅子に乗せてもらい用を足し、終わったらナースコールをして車椅子に乗せてもらいベッドに運んでいただきました。CTスキャンなどの検査も車椅子での移動でした。
絶対安静にしているとき病室では本当にやることがありません。幸いスマホは使えたので、スマホをずっといじりSNSやらニュースを見ていました。
消灯は午後9時、寝ようとしても同じ病室の患者のうめき声やいびきがうるさく、睡眠薬を処方されても寝付けないことがしばしありました。
入院2週間目
入院して2週間目から食事をすることができるようになり、それと同時に薬を処方されることになりました。
なお、入院食ではかつ丼が出なかったことご報告いたします。
この頃になると点滴の種類も徐々に減り、尿道カテーテルも外され、車椅子での移動から病棟内を点滴棒を持ちながら看護師さんのサポートなしに歩くことを許されるようになりました。
歩けるようになってから、次第に病棟、病院内、病院構内の公園のような場所へと移動できる範囲が広がりました。
病室にいると退屈で気が滅入るので、また入院で体力も衰えていたのでできるだけ病院構内を歩くようにしていました。
退院しました
入院してからの予後は順調で、入院してから2週間後には退院することができました。
退院時に受付で入院費を支払ったのですが、11万。高え。クレジットカードで支払いましたが12月の引き落としに恐々とするばかりです。
退院の手続きを終え、パジャマ姿でタクシーに乗り込み久しぶりの自宅に戻りました。久しぶりの自宅では、最初の数日は「自宅でなにしてたっけ?」と浦島太郎状態となっていました。
退院してから
退院した翌日、大学病院で受け取った入院状況の書類とDVD-ROMをかかりつけ医に渡し、翌週かかりつけ医に連絡をしてその結果を説明してもらいました。
入院直前のγGTPの値が1500から300に減っていたとのことで、当面はかかりつけ医に通院して様子を見ることになりました。よく考えたら退院後のγGTP値300もけっこう高いですね…。
(γ-GTP-検査数値あれこれ-「ニュートンドクター」全国医療機関・病医院・歯科医院情報より引用)
https://www.newton-doctor.com/kensa/kensa01.html
また、入院前に仮決まりになっていた案件も事情を説明しキャンセルしたのですが、退院したことをエージェントに伝え再度面談の機会をもらい、退院してから2週間後に今の案件に携わることになり現在に至っています。
断酒しています
退院してからお酒は一切飲んでいません。その代わりに麦茶、生茶やノンアルコール飲料を飲むようになりました。酒を飲みたいという欲求は「今のところ」ない状態です。
ひょっとしたら今後気持ちがゆらぎ酒に手を出すかもしれませんが、「今のところ」は問題ありません。「今のところ」はな!
診断書を読んだ
生命保険に入っていたので入院費を取り返すための書類として大学病院の診断書を受け取ったので、記入された内容に目を通しました。
病名:「重症急性膵炎」
急性膵炎のカテゴリでもランク上位ということが分かりました。ソシャゲのガチャで言うところのSSRみたいな立ち位置ですかね。
ということでSSRガチャ「重症急性膵炎」を調べてみました。
重症の急性膵炎では、膵臓の一部が壊死することがあり(壊死性膵炎)、体液が腹腔に流れ出し、血液量が減少して大幅な血圧低下を起こし、ショック状態と臓器不全が生じることがあります。重症の急性膵炎は生命を脅かします。
あと少しのタイミングで死んでたと思うと、病気のSSRガチャなだけにめちゃくちゃ強いステータスですね!
今後は他の病気SSRガチャを引かないよう、健康でありたいものです。
おわりに
ここまで読んで頂いた皆様におかれましても、体調不良があったらすぐに病院に行き診察をしてもらい、医師の判断を仰いだ上で健康に留意しましょう!酒の飲みすぎには注意だ!
長文となりましたが読んで頂きありがとうございました、良いお年を!